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西洋文化の先駆けとして
賓客をもてなし続けるホテル

1890年、欧米各国からの賓客の接遇・宿泊にふさわしいホテルとして建設された帝国ホテル。隣接する鹿鳴館と深い関わりを持ち、諸外国からの迎賓館としての役割を果たすだけではなく、日本における西洋文化の先駆けとしての役割も果たした。

開業初期から本格的なフランス料理を供し、開業披露の宴の料理は「殊に賞すべきは其料理並に酒類にして来客いづれも大いに満足の色ありしと云う」と新聞に伝えられている。また、所属するバンドを抱え、アメリカでジャズが流行するのとほぼ同時期にラウンジでジャズの生演奏を提供するなど、西洋の文化をいち早く取り入れたホテルであった。

やがて諸外国からの要人の来日が増えるにつれ、客室数の不足が生じると、1917年、フランク・ロイド・ライトによる新館が建設されることとなった。1923年に新館が完成した時、関東地方は大震災に襲われ、大きな被害を受けてしまう。多くの建物が倒壊し、火災に見舞われたが、このライトの新館だけは軽微な被害だったという。しかしながら老朽化に伴い、1967年に人々に惜しまれつつ閉鎖。跡地には1970年の日本万国博覧会開会に合わせて近代的な建物が竣工され、現在に至っている。ライト館の玄関部分は博物館明治村に移築されており、今でも在りし日の姿を偲ぶことができる。

時代を先取りする
ハイクオリティなサービス

当たり前のように行われているホテルでの様々なサービスだが、実は帝国ホテル発祥のものがとても多い。

ホテルでのランドリーサービスを始めたのも帝国ホテルが最初だった。そもそも外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので、長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を請け負うことを思いついたのだ。

また、今では定番となっているブッフェスタイルの食事。日本にこのスタイルを取り入れたのも、帝国ホテルであった。後の総料理長・村上信夫がデンマークで学んだスモーガスボードを再現し、当時話題だった『バイキング』という映画からレストラン名として「インペリアルバイキング」と名付けたのだという。

現在のホテルウエディングの基礎を作り上げたのも、また帝国ホテルである。当時は近くの神社で結婚式を挙げ、披露宴は家庭で行うのが一般的だった。しかし、関東大震災により近隣の寺社仏閣が大きな被害を受けてしまったので、ホテル内に神社を作った。さらに美容室、写真室を作り、ホテル内で全てをまかなえるようにした。これが、現在のホテルウエディングの原点である。

現在の日本では当たり前になっているサービスや文化。それらを作り出した帝国ホテルは、日本のホテル史の中核を担う存在なのである。

三島由紀夫氏が、社長の吉田氏に手渡した原稿宴会場の一角に作られた臨時の祭壇で行われた結婚式。

山の上ホテルの昭和30年当時の婚礼パンフレット開業当事の披露宴の様子。紋付だけでなく、モーニング姿の男性の姿も見られる。