ホテル名から探す

 

日本の伝統美を守りながら
世界をもてなすホテル

1962年、東京オリンピックを控え、国際的なホテルが必要とされていた。そんな折、大倉喜七郎氏の邸宅跡地である赤坂の閑静な高台に、当時としては最大規模とも言える550室(当時)の客室を持つホテルが建設された。「ホテルオークラ東京」である。

館内のいたるところに配された日本の伝統的なモチーフや装飾品は、古墳・弥生・平安・桃山などの文化を取り入れたものだ。海外からのゲストにも「日本の伝統美」を感じてもらう事ができる。

開業時から「世界をもてなす」というスローガンを掲げ、スタッフのクオリティの高さは最高峰と言えた。開業から5ヶ月足らずの時、メキシコ大統領によるパーティの会場となった。これだけの大規模な晩餐会に対応できるだけの力を、わずか5ヶ月足らずでつけることが出来たのである。

世界の賓客をもてなすだけの高いクオリティを持ち、海外のホテルの模倣ではなく、日本の伝統美を取り入れた「世界に通用する日本のホテル」が誕生したといえる。

最上級のサービスを
当たり前に提供するという信念

「ホテルオークラ東京」のサービスは、正統派のサービスである。例えば大きな鍋で作られる、創業当時からのレシピを守るコンソメ。このコンソメは全てのレストランや宴会場で使われている。つまり、「ホテルオークラ」で口にするコンソメは、全て伝統の味なのだ。手を抜こうと思えば、簡単である。しかし、見た目の華やかさで誤魔化す事は決してしない。レストランでもウエディングでも、常に変わらぬ本物の味を提供すること。これは、初代総料理長・小野正吉氏の信念でもあった。

結婚式もまた、良い意味で正統派である。両親や親族が安心して見守れる、そんな披露宴である。とはいえ、決してありきたりな披露宴ではない。ホテルオークラでの一般の披露宴は、開業した年に行われている。この披露宴は、当時としては珍しいブッフェスタイルのパーティなのだ。さらにはダンスタイムやファーストバイトなどの演出も取り入れられ、約半世紀も前の結婚式とは思えないようなオリジナリティに溢れたものだった。伝統やしきたりを守りながらも、新しいものも積極的に取り入れる。そんな柔軟なサービスに惹かれ、親子2代で挙式を上げているカップルも多い。

スタッフ達は「私たちは、当たり前の事をしているのです」と口を揃えて言う。ホスピタリティやサービスを自慢げに話す事は決してしない。彼らにとっては、当たり前のことでしかないのである。最高峰のサービスを、当たり前と考えて自然に提供すること。

三島由紀夫氏が、社長の吉田氏に手渡した原稿ロビーにはシャンデリアではなく切り子玉をモチーフにした照明が灯り、イスの置き方は上から見ると梅の花のように見える梅小鉢と呼ばれる配し方がされている

山の上ホテルの昭和30年当時の婚礼パンフレット創業当時から守られているコンソメのレシピ。毎日大きな鍋で作られるコンソメを全てのレストランで使うというこだわりの味。