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日本の「西洋料理」の生みの親
初代料理長サリー・ワイル氏

1927年、関東大震災からの復興のシンボルとして、神奈川県や横浜市が地元の財界ら出資を募って作られたホテル。以来、震災によって倒壊してしまった名門「グランドホテル」の生まれ変わりとして、横浜の人々に愛され続けているのが「ホテルニューグランド」である。

このホテルが創業した年に、本場パリのホテルから料理長として招かれたのが、現在「日本のフランス料理の父」とまで呼ばれているサリー・ワイル氏である。彼は「ホテルニューグランド」を舞台に、フランス料理に留まらずヨーロッパの様々な料理を取り入れた「ヨーロッパ料理」を振る舞い続けた。また、生バンドの演奏を取り入れた食空間のエンターテインメント化や、当時はコース料理しか提供されていなかった日本のフレンチでは革新的だったアラカルト料理の導入など、日本のフランス料理界における革命児と言われている。スイス出身の彼は料理人たちに親しみを込めて「スイスパパ」と呼ばれ、彼の師事をうけた教え子たちは日本の料理界を支える料理人となっていったのである。

「ホテルニューグランド」を語るとき、サリー・ワイル氏から始まる料理の歴史を抜きにして語ることはできない。名物料理「ローストビーフ」はロンドンの名店すら越えていると世界の食通をうならせているし、「シュリンプドリア」といった現代の一般家庭でも馴染みの深いメニューを生み出したのもまた、彼なのである。

ホテルニューグランドの
歴史の一ページになるということ

「ホテルニューグランド」はマッカーサーや大佛次郎といった歴史に名を残す著名人に愛されたことでも有名である。現在、マッカーサーが宿泊した部屋はリニューアルされ「マッカーサーズスイート」となり、大佛次郎が仕事部屋として利用していた部屋は「鞍馬天狗の間」として一般客の宿泊も可能となっている。歴史的人物の愛した部屋に泊まって、故人をしのぶことが出来るのもこのホテルの魅力なのだ。

そんな「ホテルニューグランド」での結婚式は、開業当時、横浜の名士の娘が第一号だった。やがて花嫁の娘が成長し、結婚した時もこのホテルが会場になった。時が過ぎ、孫娘が結婚会場に選んだのは、やはり「ホテルニューグランド」だったのだ。語り継ぎ、受け継がれる歴史を持ったホテルならではのエピソードである。愛され、受け継がれていく事で「ホテルニューグランド」という歴史は、これからも綴られていく。

三島由紀夫氏が、社長の吉田氏に手渡した原稿日本近代フランス料理の父と呼ばれるサリー・ワイル氏。彼は大衆的な料理と雰囲気を盛り込まれたアラカルトメニューを取り入れるなど、堅苦しいとされていたホテルのレストランを楽しく和やかに食事を楽しめる場所に変えた。

山の上ホテルの昭和30年当時の婚礼パンフレットマッカーサーとの関わりが有名だが、占領軍指揮官として宿泊した時は実は三度目の宿泊だった。彼が初めてこのホテルを利用したのは少年時代の観光旅行。二度目は新婚旅行での利用。この写真は彼が3度目に宿泊した「勝利の間」。現在はリニューアルされ「マッカーサーズスイート」と呼ばれ一般にも利用することが出来る。